スナックかなえ ママの手酌酒

泥酔したら閉店するわよ

プライベートを仕事に切売りちゃんに説教した話

普段怒らない私ですが、久々に仕事の後輩ちゃんにお説教した。

といってもLINEで『ダメだよー』と送っただけなので、ちゃんと膝を突き合わせて会話したわけではない。(これはこれでダメなのも分かってはいるんだけど…)

私の中でこのモヤモヤをちょっとだけ言語化したかったので、こんな時間で明日(というか4時間後)には仕事なのだけど、忘れる前に書き留めておく。

 

仕事に自分の時間を無償提供はダメぜったい。

事の顛末はこう。

お店の開店前には少し早めに入って片付け・準備をするのが通例になっている当店。(本当は営業時間前の雑務も早出残業になるというのはまた別の話なので置いておく)

 

その日は私が担当だったので15分前にお店の鍵を開けると、電気・エアコンがついて片付けが終わっている状態。

『忘れ物を取りに来たついでに片付けしておきました』という、今日おやすみの後輩ちゃんのメモが机の上にぺろり。

 

すぐに「ありがとう、でもこんなことしなくていいよ」って連絡したよね。

 

正直、めっっっちゃ助かる。めっっっっっちゃうれしい。

片付けも掃除もめんどいから、調子こいて出勤してゆっくりコーヒー飲みながらやろって思ってたもの。

でもね、あなた今日おやすみなのよ。この後出勤するわけじゃないの。

それなのに片付けと準備しても、正直メリットないのよ。

 

 

ヒトの気持ちのメリット・見返りは見えない

後輩ちゃんの気持ちはめちゃくちゃ分かる。

めんどくさいことを率先してやれば、同僚は助かるしうれしいだろうって。

めちゃくちゃ分かるし、実際私も前の職場でやってた。

その結果うつになって逃げるように退職した。

 

かと言って『やっておいたのでその分時給ください』と提案するつもりがないのも分かる。

でも、どこかで見返りを求めているのも嫌というほど分かる。

同族嫌悪というか、そういう『自分が犠牲になることでうまくまわるなら』という気の使い方が不器用すぎて、心臓がキュッとなった。

 

「これやっておけば他人から気に入られるだろう」という変な媚び方を覚えてほしくない。

「こういうことすると他人に利用されるよ」ということに警鐘を鳴らしたいわけではない。

「こういうことしても結果的にあなたにとってメリットないよ」ということを伝えたかった。

 

 

メリットと人間関係と

例えば、仕事のために自分の時間を30分間無償で提供したとする。

会社側は30分間の労力に対して対価を支払う必要もないし、言わば本人が勝手にやっていることだから評価をする必要もない。仕事を勝手にうまくまわしてくれる。

同僚は「あいつが勝手にやってくれるからラッキー」と思うだろう。

 

何らかの理由で無償の30分間をやめたときに浮き彫りになるのは、おそらく「今までしてくれていたんだね、ありがとう」の感謝ではなく「勝手にやってたんだから勝手にやめるなよ」という怒りだと思う。

仕事なんてキレイごとだけで立ち回れるほど輝かしい美徳ではない。

 

更に加えれば、本当は30分間分の人材が不足していることを隠しているとも考えられる。

人材の不足を従業員が勝手に補填してしまえば、本当に必要な人材が適切に配置できないという不利益が発生する。

たかが30分されど30分。チリも積もれば負債はいろいろなところに降り掛かっていく。

 

『会社のために無償で働きます!』というのはとんでもないエゴだと思う。

経営者ならまだしも、平社員であればそんなことは必要ない。

「いいですよ無償でやりますよ!」と笑って言う人の作業にどれだけの価値があるのだろうか。

価値の決め方はそれぞれだとしても、「誰かが満足してくれるなら」という形のない偽善の見返りをこっそりと強要している姿勢は正しいのか。

逆に『この作業をするから適切な対価を支払い評価をしてくれ』と言える人のほうが、会社にとっては有益な人材ではないだろうか。

 

「この人のためなら!」と信頼している上司がいても、永遠に信頼関係が続くなんて幻想だ。

ふとしたときに目が覚めて、今までの時間に何を思うだろう。

私はその時に一気に人が嫌いになったし、何よりも愚かな自分が憎くてたまらなかった。

精神を病んで悩み苦しんだ結果、「他人を喜ばせるために自分の時間を切売りするのはやめる」と決めた。

 

 

他人がよろこぶ前に自分は?

仕事という賃金が発生する状況は極端すぎるが、これはプライベートでも意識している。

例えば、お友達の誕生日にプレゼントを買う。

ついでに彼女の好きなケーキもサプライズで買っちゃおう。

でも、ケーキ屋まで行くのめんどくさいなぁ。予算オーバーだし、並ぶと時間かかるし。

 

ここで以前の私なら「めんどくさいけど、喜んでくれるならやっちゃおう!」と思っていた。

だけど今は「でも、」と思った時点でやめる。

正直思いつきのサプライズの本心は「他の人よりちょっと目立つことがしたい」とか「自分の誕生日に同じことをしてほしい」とか、下心が見え隠れしている。

「でも、」と思わなければ本当にしたいのだろうから、したらいい。

 

そう気がついてから、他人のために時間を使うことに少しでもモヤッとしたら、しないことにした。

自分がいい気分にならないことを他人にしても、感謝の押し売りになるのではないか。(実際だいたいそう)

『私は自分の時間をあなたのために犠牲にしました。(はいどうぞ喜んでください感謝してください)』というエゴ丸出しってダッセぇ〜〜〜!!

美徳でもなんでもない。エゴから一番遠いところにある。

 

 

仕事は勤務時間内にして

話を戻すが、経営者でもない限りプライベートを仕事に切売りする必要はない。

と、会社員をリタイアしてフリーターを選んだ身として言いたい。

私はアンチサービス残業・みなし残業代派だし、同僚がそんなことをしていたら「やめろ」という。

ぶっちゃけ私にも同じことを求められたらイヤだし、勝手にやっていることに感謝しないといけないのが気に入らない。

やるならもっとコソッと、誰にもバレない妖精さんになってくれと願う他ない。

 

今回後輩には『してくれたことはうれしいし上司にも報告しておくけど、お給料も出ないし本来のわたしの仕事がなくなるからもうこういうことはしなくていいよ』という旨を伝えた。

ちゃんと伝わったかはわからないが、正直本人が何かを感じるまでわからないことだと思う。

それが「やっぱりやってよかった」という博愛の心なのか、善意は搾取されるだけじゃないかという裏切りの感情なのかもわからない。どっちともを経験しないと理解できないことなのかもしれない。

 

30年強生きていると、若い子にあれやこれやと耳の痛くなることを言いたくなる気持ちがよーーーく分かってしまった。

勤務時間外にコソコソするより、勤務時間内に頑張ってくれたほうがフォローもお膳立てもしやすいのよ、と背中で語るしかないのか…

 

私もまだまだ、偽善の心が抜けきらないクソガキなのだと思う。