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『死』のワードはデリカシーでバズり得るのか

最近ちょっとだけモヤっとすることがある。もう少し強く言うと不快。

SNSで見る『〇〇すぎて、しぬ!』というワード。

もう本当にやめてほしい…

 

死ネタがバズるのか

だいたいインスタで見かけるこのワードは、ジャンル問わず多岐に渡って使われている。

  • かわいすぎて「しぬ!」
  • おもしろすぎて「しぬ!」
  • うれしくて「しぬ!」
  • おいしくて「しぬ!」
  • コスパ良くて「しぬ!」

・・・などなど。

概ね「ヤバい」と同じ意味合いで使われている印象。私も「ヤバい」はよく使うが、本来の言葉の意味とは異なっていることは認識している。

おそらく「全然」を肯定的に使うようになった時と同じ風潮なのだろうか。

本来「全然」は否定的に使うもので、「全然ダメ」「全然合わない」などに使われる。

それが今では「全然大丈夫」「全然問題ない」という風に使われているし、辞書にも記載があるそうだ。

正しい日本語について紐解けばもっと重箱の隅をつつくようなことになるだろうが、それでも、些末なことで「しぬ!」を使うのは些か軽率すぎるのではないだろうか。

 

「死」の形骸化

「しね!」とか「ころす!」とか、死を司る言葉を投げつけあうのは小学生までだと思っている。

まだ死という概念が軽薄で、相手の感情を読み取る能力が低いからこそぽっと口から出てしまうワードであり、それを大人が正し、実際に死と対面するという経験を経て死を理解していき、「あまり喜ばしい言葉ではない」と口を慎むようになる。

言葉は心の成長と直結している。人に向ける言葉として適切かを考え、自分の中だけに留めておくというのも成長だ。

私がこんなに若者のSNSについて思うところがあるのは、実際に私が死に近い環境にあるからだと思う。

それなのに、かわいすぎるから、おいしすぎるから、推しが美しすぎるから、といったくだらない理由で死を叫ばれてもこちらとしては何も面白くもない。

 

デリカシーのSNS

面白くても愉快でも笑えることでも、言葉にしてはいけない言葉がある。

それは容姿を非難することだったり、趣味嗜好を否定することだったりする。

その中に、『死』という誰もが免れることができないワードがあるのは言うまでもないと考えている。

アーティストのAdoさんの『うっせぇわ』に最初嫌悪感を抱いたのはそこだと思う。


www.youtube.com

世間が何度も繰り返しているうちに何も思わなくなったが、最初は「こんなものが流行るなんて世も末だな」と思った。

歌詞を読み解けば理解できるところもあるし、何よりAdoさんのパフォーマンスに有無を言わせないとんでもないパワーがある。

若い子がうっせぇなんて言わないの!と思うのはこちらのおばさんの勝手で、彼女にも主張する権利がある。

 

いつも受け入れていない言葉が流行するのは嫌悪感が凄まじい。

今の時代、このくらい強い言葉で『よく言った!』という共感を掴み取らないとバズることは難しいのだろうか。

西野カナ倖田來未のような「わかるわかる…」と共感と同情で枕を涙を濡らす時代は終わったのかもしれない。


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だが、どうしても『死』を軽率に扱う今のトレンドは受け入れ難い。

これも数年すれば何事もなかったかのように笑って見られるコンテンツになるのだろうか。

今の不快感はSNSを離れることでしか拭えないことが苦しい。