かなスの巣

後腐れのない日記帳

30代 二度とやらないと誓った金髪と心療内科

30代半ば、体調の変化とかライフスタイルの変化やらで何やら忙しい瞬間なのだと思う。

友人の結婚ラッシュはひと段落つき、いつのまにか二人目三人目の子宝に恵まれていることをSNSを通して知る。私自身すがすがしいほど色恋沙汰の変化はないが、それでも仕事、とりわけ転職については20代後半から幾度となく苦労した。

27~31歳くらいまで絵に描いたようなブラック企業にいたため、そこを退職してから抑制されていたやりたかったことをあれこれ挑戦もした。結果やってよかったこともあれば同じ分やるんじゃなかったと後悔もした。

のど元を過ぎてしまえば「いい思い出だなぁ」と思えるほどには時間が経過してしまったが、二度とやりたくないことだけはしっかりと覚えている。

お金を積まれてもやりません

全頭ブリーチ

酔った勢いでやると決めて泥酔の中で美容院を予約した。あほみたいな話だが、このくらいの勢いがないと一生やらなかったとも思う。

似合う似合わないはさておき、今まで真面目キャラだった私がいきなり金髪にしたのは自分でも面白かった。世界にブリーチケア・ダメージヘアに特化した美容用品があふれるほどあることを知らなかったし、毎月のリタッチでは気が狂いそうになるほどの不快感(あの冷たい薬剤がペチョ…と頭皮に触れる時とシャンプー台に頭を乗せた時のペチョ…の冷たさがイヤだった)。

髪色で遊ぶのってお金も時間もかかるんだなと思ったし、何よりダメージヘアに耐えられなかった。

今までヘアカラーこそしていたものの、半年に一回とかハイライトを入れる程度だったのでどんなシャンプーでもオイルでも問題なく使えるし、悩みといえば直毛と前髪の生え癖ぐらいだった。

ところがどっこいどれだけ丁寧にブローしても湿気で膨張するし、毛先は燃えたんかと疑うぐらいにチリチリ。ブリーチは痛むと聞いていたがこんなにもジワジワ遅効性の毒のように、毎日のヘアケアの時間が憂鬱になると思っていなかった。

結果三か月ぐらいでプリンが気にならない程度の暗い色に染めなおし、痛み過ぎたところはバッサリ切ることで私の金髪生活は終了した。

人生の経験として一度は経験しておいてよかったなと思うが、ダメージヘアのストレスを考えると二度とやりたくない。

人生で初めてヘアオイルを3本くらい一度に買った。今考えるとあほにもほどがある。

個人的にプロカリテが一番使い勝手がよく、ブリーチ毛がほとんど残ってない今も愛用している。

心療内科通い

ブラック企業に勤めていた時、あまりにもつらすぎてすがる思いで心療内科の扉をたたいた。

結果的に軽度のうつと強迫性障害ぎみということで内服薬を処方していただきかなり改善した。(転職することが一番の特効薬だったことは言うまでもない)

強迫性障害「ぎみ」というのが面白いのだが、実際に診断書を書いてもらうほど明確な診断を受けられるのは実生活に支障がでている状態らしい。戸締りが気になって確認しすぎて会社に遅刻するとか、手洗いをしすぎて家から出られないとか。

そこまで行ってから受診するんじゃ心が持たねぇじゃねぇのと思ったのは言うまでもないが、当時の私は人に迷惑をかけないよう必死に隠していたので、そんなもんかとあきれたのを覚えている。

今でこそ笑って話せるが、抗うつ剤で10キロ痩せた(ちゃんと戻った)し、心療内科独特の待合室の雰囲気とか、とんぷくをカバンとポーチすべてに入れていたとか。

私は元々頭痛もちなので市販薬のセデスを愛飲していたが、これを飲むと不思議とスッと落ち着くのを感じていた。先生に相談すると成分を見て「ちょっと興奮を鎮める効果が入ってるからね」と言われて、ゆるやかにオーバードーズしかけていたのはゾッとした。頭痛薬として優秀だが当時を思い出すのであの時以降は使っていない。

つらいときは今まで読んだことのないメンタルや宗教に関する本を読み漁ったし、人間強いだけじゃだめなんだな~~~と痛感した。

「うつは甘え」の風潮をどこか遠く他人目線で見降ろしていたのに、気が付くとすぐそこの足元は崖際まで迫っていたから人生なにがあるか本当にわからない。

この心療内科通いはまたの機会に詳しく記録しておこうと思う。

私が強迫性障害かも?と思ったときにすぐ読んだ本。漫画だから気楽に読めてよかった。

「自分が異常なのではなく脳の異常」ということ、「私だけではない」という安心感で心療内科に予約の電話をする大きな一歩を後押ししてくれた思い出がある。

病院自体は一年ぐらい通って、転職してかなり落ち着いたので自己判断で通院をやめてしまった。これ本当は絶対よくないが、あれだけ毎回多めに処方してほしいとお願いしていたとんぷく薬がどんどんたまっていくのを見て、もうひとりで大丈夫かなと思った。

また何かあれば病院の先生に相談すればいいという安心感を得られたのはめちゃくちゃ大きい経験値だった。

あと、周りのひとたちも口にしないだけで意外と通院している方が多いことも知った。

発達障害とか躁鬱とか、私が軽く打ち明けると「実は私も…」という方の多さに、現代社会の生きづらさとか、「私だけ…」という傲慢さとか、いろいろと考えてしまう。

心療内科通いがイヤというか、通わないといけない境遇がイヤという方が正しい。病院なんて通わなくていいならそれに越したことはない。私は通院費だけ支払うのがイヤだったからこれをいつかネタにしてやろうと躍起になった結果の今がある。

のど元過ぎれば熱さを忘れるとは本当によく言ったもの。なんだかんだ多くの人が同じような経験をしているものだ。

 

30代は経験を選んでいきたい

『若いころの苦労は買ってでもしろ』とモーレツ社員(死語)はおっしゃるだろうが、やりたくないことはやらなくていいと最近やっとわかってきた。「みんながやってるから」とか「やらないといけないから」とか思っていたことは意外とそんなことはないし、やらないくても問題ないことは思っているより結構ある。

なんというか、歳を重ねるごとに出来事にたいして動じなくなった分疲労がくるようになった。

「まぁなんとかなるでしょ」と思うが「なんとかするか~どっこいしょ」のどっこいしょがしんどい。年々重たくなる腰を上げて動いてしまえば「もっと早くやればよかった~」と思うまでがワンセットである。

苦労を買ってそのつらさをネタにしてやろうと思うシーズンの盛りは過ぎた気がする。

多少のことがあってもネタにしてやろうと思う魂胆は変わっていないが、どうせなら面白いことをネタにしたい。

数年後『30代 やってよかったこと』というエントリーを投稿できるよう生きていたいなぁ。