先日実家に帰省して二日目、親戚からの電話は訃報を伝えるものだった。母と姉と弔問に伺ったときは枕経の真っ最中だった。
生きるも死ぬも やることいっぱい
親戚と言っても、正直私からすると「近所のおばちゃん」である。しかし母にとっては従兄の奥さんであり、明るいご近所付き合いの重要なメンバーである。鮎をもらえば貰い物のビールを渡し、作り過ぎた煮しめを渡せば畑で採れたという丸々太った白菜が玄関に置いてある。そんな損得抜きの物々交換が成り立つ古き良きご近所付き合いを、祖父の代からしていたのだから私の尺度では計り知れない関係である。
訃報はいつだって急にやってくる。さすれば香典だの喪服だの、家族葬なのか、そもそも通夜はどこで何時だ、数珠はどこだ、と体裁的に考えなければならないことがどっと押し寄せてくる。結婚式と違い、一切準備ができないのが訃報。こればかりは誰もがいずれ通る道である以上仕方がない。
今回、地元では珍しく自宅で葬儀が執り行われた。近年は空き地ができれば斎場ができていく中、生前から家で葬儀をしてほしいという故人の意向を汲んだ形である。母も祖父が亡くなった際、「できれば家で看取って家で葬儀してあげたかったけど、堪忍してもらった」とこぼしていた。しかし高齢化が進む田舎では古い家屋は段差が多いし、椅子がないと足腰がツライという声が増えてくるので、バリアフリーが完備された斎場を選ぶことが多い。これは故人よりも今後を生きる人のためであるから、ご容赦願いたいものである。
祖母の家にも大量の座布団と食器がある。冠婚葬祭の集まりをはじめ、集落の大掃除後の宴会、年末の餅つきなど、ことあるごとに人が大勢集まっていたからである。今は家主も鬼籍に入り集まる人もいなくなったが、それでも見事な量の食器が倉庫を埋めている。思えば叔父の葬儀は約30年前に実家で執り行ったが、今でも異様な雰囲気を覚えている。線香の香りと鼻に綿を詰めた叔父、母親と近所のおばさんたちがせわしなく動く台所。当時は叔父の年齢もよくわかっていないし、何より人生で初めての葬儀だったものだから、とにかく居心地が悪くて二階に逃げていた記憶がある。
弔問の後、近所の親戚(母親の従妹)の家に線香をあげに行った。その際にお花をどうつけるかという話になる。お花が一対の一段、二段の値段、いとこが何人だから、旦那の名前で出す?どうする?と、昔話に花を咲かせる間もなく段取りすることはたくさんあるようだ。
以前祖父が亡くなった時、葬儀社との打ち合わせに、喪主である母が姉と私を同席させた。「こういうことはあまり経験できないから実際に見ておきなさい」とのことだった。実際のところ、私は棺桶のデザインと遺影の背景を決めただけだが、カタログの値段にヒエっと声が出かけたのは内緒だ。よく『自分の葬式代くらいは残しておけよ』なんてセリフを聞くが、こういうことか、と身をもって勉強した。こういうことこそ義務教育内で教えておくべきだとつくづく実感する。
生まれてきた人間が唯一免れることができないのが「死」。この機会に葬儀の礼節について母にいろいろと聞いてみたが、いずれも「昔はこうだったけど、今は違うからねぇ」という返答が多かった。少子高齢化が甚だしい田舎にも相応の文化と世情の変化があるらしい。
最近こんな悲しい出来事ばかりが続いているからか、なんとなく気分が上らない。仕方がない、と言えばそれまでだけれど、死なれる方も楽じゃない。前日まで「元気かなぁ」と心配していたし、明日顔を見に行こうとまで言っていた矢先である。悔やんでも仕方がないが、どこかで吐き出さないとちょっとだけツラいので、少しだけ弱気になってみる。
ご冥福をお祈り申し上げます。