かなスの巣

後腐れのない日記帳

言いたいことが言える人と言えない人における考察

 世の中には言いたいことを言える人と、言えない人がいる。どちらが得とか損とか、生きる上で大事かそうではないか、一概に言える事ではないのなけれど、とにかく2種類に分かれるだろう。

 先に断っておくが反町隆史の話ではない。

言いたいことも言えないこんな世の中じゃ〜

 こんな話題を出している以上、私は後者になることを明言しておく。

 嫌なこととか要望とか、とにかく言えない。特に目上の人に対してはことさら言えない。とりわけ仕事のことになると、「言うくらいなら退職したい」ぐらい思う。

 前職は管理職という立場だったが、幸い年長だったので部下に指導しなければならないことは言えていた。と思う。遅刻してきたとか、勤務態度が悪いとか、できるだけ一方的に喋らないよう、ヒアリングしつつ話をしていた。つもりだ。

 結局何を言ったって、伝えたことをどう受け取るかは相手次第なわけだから、受け取らせたことについて考えても無駄でしかないのだけれど、せめて投げたものに対しての責任を負うべきだと私は思っている。こんなことを考えているから言いたいことを言えないわけなのだが。

 

 言うことがめんどくさいというのもあるが、「言ってもどうせ無駄だろう」と諦めが横入りしてくることも大きい。これは前職でパワハラによりうつになった後遺症を引きずっている、それっぽく言えばトラウマだろう。

 人を変えることはできないので、自分が変わったほうが早い。これを骨の髄まで理解してしまうと、人にアレコレ言うより自分でやったほうが早いと、典型的な鬱への花道を両手を振り振り闊歩することになる。そう分かってはいるが、これがなかなか、なのだ。

 

 最近モヤモヤしていることを懇意にしている友人に愚痴ったら、「それは(本人に)直接言ったほうがいいよ」と天晴大正論をいただいた。そりゃそう、私もそう思っている。友人は嫌なこととか改善してほしいことがあれば、スパッと言うタイプだ。だがこの友人の素晴らしいところは、「言いにくいなら代わりにきっかけ作るよ」と助け舟をすいすい泳がせてくれるところ。それを期待して相談したというのもあるが、私もつくづく嫌な人間である。

 そもそも私は人に相談することが苦手だ。年下には絶対言いたくないし、少しでも口が軽いなと感じた人には、少なくてもお互いが泥酔していない限り言わない。なんというか、あまりにも不器用すぎる生き方をしている。だからこそ、懇意(と言えば聞こえがいいが、実際ぐだぐだと酒を飲み交わすだけ)にしてもらえる友人の存在はありがたい。自分にできないことを他人に任せるというのも、生き方の手段だと思えるようになった、とでもまとめておこうかしら。

 

 今抱えている問題がいつ解決して心晴れ晴れになるか分からないが、自分の特性とはうまく付き合って行かなければならない。解決に時間がかかってしまうのは仕方ないが、これもまた生き方の一つと捉えさせていただこう。日々勉強と実践である。