SNSで見たのか本で読んだのかはうろ覚えだが、とにかく趣味を持つべきだと意識している。
趣味って大事 大人になればなるほど
「ご趣味は?」なんて定番な質問だが、これが案外パッと答えるのが難しかったりする。読書、はそんなに言うほど読んでいないし、YouTubeをダラダラ見ること、は言うのがなんだか恥ずかしいし、中々難しい。
今私は「掃除と編み物」と答えるようにしている。掃除に至っては家事だし、編み物も素人に毛が生えた程度のものだから…とつい謙遜してしまうが、「趣味はないです」と言ってしまうより幾分ましだろう。
冒頭の話だが、「社会人は趣味が必要」と読んだのをとても印象深く覚えている。つまり、趣味を10分でも20分でも、なにかに没頭してイヤなことを忘れる時間を作る、というのが事の内容だった。思いのほか「人生の充足のため」とかではない。マインドフルネスのために取り組むべきだ、というのが印象的だった。
確かに言われてみれば、趣味や好きなことをしている間はイヤなことをすっかり忘れている。というか思い出す余地もない。仕事でも人間関係でも「明日はアレをやらなきゃ…」「今日怒られたな…」とイヤなことを考えたり思い出したりする時間は無限に作れてしまう。
私は特にそのタイプで、考えてもどうしようもないことを延々と考えて、誰に頼まれてもいないのにめちゃくちゃ落ち込む。「考えても仕方ない!」と分かっているのに、アレやコレやと心配事が頭で暴走して疲れてしまう。その結果うつになってしまったのだけれど、こればっかりは性分だから仕方がない。(以前よりは緩和された)
確かそんなときに見つけた「趣味の重要性」だったのだと思うが、なるほど確かに、結構救われた。
正直趣味に取り組むまでは「もうこんなことやってる場合じゃないのに…」と本当にやりたくないまである。だがしかし初めて見ればやっぱり楽しくて、気が付けば10分、30分、1時間と経過してしまう。しかも、その間、脳内の「どうしよう座談会」はお開きとなっていた。
禅の「今、ここ(而今)」の考えを強制的に実行する感覚に近いのかもしれない。目の前のことにただ没頭する。瞑想よりも強制力が強く、しかも楽しい。これは確かに社会人こそ「これをやっている間は全部パッと忘れちゃう」くらいの趣味を持つべきだ。
漠然とした将来の不安とか、落ちないどころか増える体重とか、お金のこととか、いろいろ考えてしまう時、やっぱり私は毛糸に手を伸ばす。本当にヤバい時は紙に鬱憤を書きなぐることもあるけれど、軽いお手当程度と思って日々糸を編む。
鬱社畜時代は何をして気分転換していたのかさっぱり思い出せないけれど、でも確かに、「あぁ楽しい、でも寝ないと、でももう少ししたい」と思うようなことはしていた、はず。
数学のように悩んで解決することであれば、この行動は「逃げ」になるのだろう。でも、長い人生でのちょっと困った、は「気分転換」が必要だ。
もちろん趣味は楽しいから取り組むもの。だが、本当に気が滅入っている時はその大好きなもににさえ手が伸びなくなってしまう。しんどいときこそ、好きなものに触れるべきだ。
ここまで書いて思い出したのが、読んだのは多分安野モヨコ先生の「美人画報」だった気がする。締め切りに追われている時、ダンレボで踊ると汗もかいて詰まっていた頭がスッキリ!みたいな話だったような。ワンダーだかハイパーだかすごいうろ覚えだけど。
おとなの趣味を探すにあたって、モチダちひろさんの著書がとてもよかった。子育て、仕事の合間にいろいろと挑戦される姿が素敵。とにかく手を出してみる!も大事なんだなぁ。漫画だから読みやすいし、読んでいること自体楽しいからそもそも健康にいい。
と、ここまで御託をしっかり並べた上で、気分転換にポケモンでもプレイしようかなぁ。久々のポケモンはやっぱり楽しいし、新しい刺激で面白い。
今後やってみたい趣味は、タティングレース(道具はもう買ってあるのよね…)、ビーズ刺繡、かなぁ。大人だからこそ、時間を作ってやっていきたい。



