尾道旅行を経て、志賀直哉「暗夜行路」を読んでいる。なんというか、脳の活性化がすさまじい。
いやむずかしいかよ

なんとなくわかりきっていたことだが、文学らしい回りくどさがすごい。私が小説慣れしていないのも大きいだろうが、なんだか読みにくい。比較対象に出せる作家も思い出せないが、でも、三島由紀夫よりは読みやすい気がする。(三島由紀夫は題材を含め結構好きではある、念のため。)
今ドコまで読めたかというのもよくわからない。全体の22%って、まだまだあるんかい。
そして驚くほど言葉がわからない。どちらかと言うと語彙はある方だと自負していたが、そもそも読めない、意味が分からないが多すぎる。分からない言葉は調べてメモしているが、これが有識者ってやつかと辟易している(多分違う)。

なんとなく漢字で意味はわかるが、物語を読み進めていくうちに、私の解釈と作者の思い描く世界が乖離してはいけないと都度調べている。鯱張るってなんだよ。嚔って、くしゃみって書け。
あと登場人物が軽率に増える。しかも友好関係とか親族がやたら近い。時代もあるだろうけど、時代背景的にもっと狭い世界の話だと思っていたのでこれは意外だ。縁談の話の唐突さ、びっくりしすぎて1ページ戻って再確認するを2回した。
自動車、車がでてくるし、電話もある。そもそも文学について、時代背景について知らないと、こういうところでも楽しめるからいいのだが、そのたびに「???」と調べることが多くなるから、余計に読み進めるのが難しい。
とにかく、読もうとしたきっかけの尾道、『六時になると上の千光寺で…』の行を見るまでは終われない。志賀直哉が尾道の風景をどのように切り取り筆に納めたのか、純粋に気になる。

千光寺展望台からの風景。昔は造船所もなくもっと開けていたのかな。
突貫工事で始まった尾道旅行だったが、思いもよらず知見を深めることになった。無知が故の楽しみ方だが、そもそも旅行があまり好きではないものだから、不思議な気持ちである。
知らない土地を訪れ、その地ゆかりのものについて触れ、調べる、修学旅行のしおりとは一味違う学習意欲に自分でも驚いている。大人になったなぁ。
志賀直哉云々より、自分が見た景色を他人はどう表現するのかが気になるあたり、私も文を書く身としてなにか成長があったのでは、と思う。「放浪記」の林芙美子は『海がみえた。海がみえる。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい。』と涙をこぼした。風景により、そして言葉により人に伝える風景は想像以上に姿を変えていく。
あまりこんなことを書くと京都などに旅行に行った暁には、三島由紀夫は「金閣寺」、梶井基次郎は「檸檬」、司馬遼太郎、他多数殺人事件シリーズなど、膨大な量を読むことになる気がするので、これを趣味と呼ぶのは一旦保留とさせて頂く。

ついでに「城の崎にて」も購入したが、読めるのはいつになるだろうか。年内には、とは思っている。


