かなスの巣

後腐れのない日記帳

オジサマがパスタをすする世界線で生きる

 パスタをすする行為に賛否はあれど、私は平和で健やかな世界だと思う。

オシャパスタ スプーンつかうか問題

 久々にランチにオシャ店でオシャパスタをいただいた。

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 欲張って大盛り。さすがに多い。

 オフィスビル内のお店だった。11時50分くらいに入店したときは静かだったのに、12時を過ぎるとバタバタっと慌ただしくなるのがなんだかよかった。

 さて、パスタを食べるにあたり、「スプーンを使うかどうか」これについて私は常に考えている。先に結論を言うと、どっちでもいい。

 パスタを食べる時にスプーンを使うのは子供だけ、と言うのがパスタのお国の常識らしい。これって日本だと何になるのだろう。丼ものをスプーンで食べる感覚?初期装備のカラトリーで食べられないことはないけど、キレイに食べやすくする意味では等しいのだろうか。

 そんなことを考えながら、くるくるちゅるりとパスタを食べる。結局スプーンは使わなかった。向かいの席のお姉様はスープパスタでスプーンを使っていた。合理的だと思う。

 トマトパスタを食べる時って必ずわんわん物語を思い出す。ディズニーで101匹わんちゃんに続いて好きな映画だ。ルパン三世カリオストロもあるが、一本のパスタをチュルチュル…チュッ…というディズニーらしいハニカミ青春が好きなのだ。

わんわん物語(吹替版)

 カジュアルなお店、12時を過ぎて入店されるのは、首から青いストラップで名刺を下げた人、キャラメル箱みたいな小さい財布を持った人、「いかにも」オフィスビル

 私のような女性一人が目立つと思っていたら、二人組の男性がぽぽっと入店された。いずれも40〜50代だろうか。

 偏見だが、このくらいの年代の男性はパスタ(もといスパゲッティ)をすする傾向にあるように思う。

 この辺のマナーについては一旦溜飲を下げていただきたい。今は偏見の話をしている。

 どんなもんかしらと思いつつ、くるくるちゅるりと食べ進めていく、いや、大盛りやっぱり多い。私のバカタレ。

 だがいつまで経っても「ズズッ」の音は聞こえてこない。あらあら、最近のオジサマはすすらないのかしら。「箸ちょうだい」と言いかねない食べっぷりのオジはオフィスビルにはいないのか。

 失礼ながらオジサマたちをちらっと覗く。あ、よかった、みんなちゃんとすすっている。

 すすっているとは言え、サイレントにチュルチュルされている。でも食べ方は豪快。なんか、いいじゃないか。なんだか、私のパスタまで美味しく感じてくる。

 

 人の食事マナーにとやかく言うのは難しいことである。

 私は他人の食べ方を結構見る。箸の扱い方からお椀の持ち方、法律でどうこうされている部分ではないけれど、そもそもマナーは「相手を不快にさせないため」に存在している。一緒に食事を楽しむために留意してもらえていると思えば嬉しいし、第三者の目を気にすることができる視野の広さも大事だと思う。

 こういう事を言うと「好きなように食べるのが一番いいに決まっている」と言われそうだが、そういうことではない。「千と千尋の神隠し」の冒頭で千尋の両親が食事を貪り食うシーン、アレを見て向かいの席で「いやぁ豪快だもっと食べなさい」と言えるのか、と。

 極端な例を出したが、食事のマナーは敬語と同じで、相手に敵意がないことを示す手段であると考える。オジサマのスパゲッティすすりは最早文化と考えたほうが解決が早い。

 私はすする行為には特に何も思わないが、氷や飴を噛み砕く音がどうしても苦手だ。一人一人マナーの許容ラインが違以上、こちらからも強く否定する義理はない。

 きっとこのオジサマたちも、家では「ズズッ!」と豪快に音を立ててパスタを食べているに違いない。今は首から下げている社員証だかカードキーだかのせいで、その力を封印しているだけだろう。…たぶんね。

 

 その後は目当てのものを探して、テクテク散歩しながら消費を促す。久々にお店でパスタを食べたが、やっぱりおいしかったなぁ。

 堂山から梅田駅あたりをぐるっと、あちこち見回っていたらすっかり疲れてた。年末を控えたクリスマス前、お買い物は今のうちにできてよかった。

 今日は移動中、ポッドキャストで令和ロマンのラジオを聞いていた。やっぱり芸人さんはすごい、言葉の勉強になるなぁ。

 お腹も満足、程よい疲労、なかなかいい1日だった。たまにはちょっと小洒落たところで食事したほうがいいな。もっとアクティブに行こうと思う。