かなスの巣

後腐れのない日記帳

親戚は遠くて近い距離を保つこと

 31日の昼過ぎに実家に到着して、一息ついてから徒歩3分の親戚の家に行ってきた。広島からの道中立ち寄った市場で海鮮丼を食べている時、隣に座っていた初対面のオジサン2人におごってもらった話はまた今度しようと思う。

親戚付き合いって

 親戚と言っても、母の従兄である。

 今は亡き祖父の甥で、歳が10も離れていないから関係性を理解するまでにずいぶん時間が必要だった。9人兄弟の末っ子の祖父と、20歳近く離れた兄の子であればそうなる。

 お盆においさん(愛称を込めてこう呼んでいる)の奥さんが亡くなったため、心配で顔を見に行くついでに、母の作ったよもぎ餅を携えて。

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 ガァガァと気前よく昔話を語り、あれがいけんこれがいけん、あぁだこうだとご意見番だったおいさんもすっかり痩せて、自分でも「がっくりきた」と言っていた。

 趣味で年中欠かさなかった花壇の手入れもできず、なんにしてもやる気がわかないという。そりゃそうだ。60年以上連れ添った家内がポッといなくなってしまった。考えるだけで胸が痛む。

 そんなおいさんも91歳。そりゃそうだ、とは思うけれど、煙草を吸い、よく喋り、シャキッと歩く姿を見ると安心した。祖父も最後の一年こそは一人で歩けなかったが、同じ頃は何の問題もなく過ごしていた。似た顔だから余計に思うところがある。

 

 春になるとおいさんの花壇では毎年素晴らしい程の芝桜が咲く。おいさんに、またきれいな花壇見せてねと約束して帰路についた。無茶は承知だが、この家系は何か張り合いがある方が気を張れるということも承知の上でのお願いだ。葉ボタンの苗が玄関先にあったから、きっと三が日が過ぎたら精を出すのだろう。

 帰る前には「大根はあるか」と心配される。あれだけ「何をやるにしてもやる気がでん」と言ってしょげていたのに、畑仕事はしている。感心感心。

 

 もしかしたらおいさんも、次に会うときにはボケてしまってもう私のことを覚えていないかもしれない。だからこそ、帰ってきたときは毎回顔を出す。

 会うたび「おいさん(私の祖父)にはよくしてもらった」と言ってくれる。満州開拓団として家族で困難を乗り越えてきた世代、何にしたって団結力がある。肋膜炎を患った祖父のためにスッポンの生き血を飲ませて…と言う話しはもう幾度となく聞かされた。

 だからと私がおいさんにできることは何もないし、関係性で言うと「従兄の娘」だから希薄なところではあるのだけれど。

 それでも「よぉ来たの」と喜んでもらえて、ありがたいことこの上ない。遠くもない親戚、近所の親戚。旦那は子供はまだか、と急かされることもない(もう諦めているだけかもしれないが)。

 実家に帰って、親戚に顔を出す。これだけで喜んでもらえるなら、長い旅路も苦にならない。「あの時会っといてよかった」はまだ早すぎる。

 おいさん、まだまだ長生きしてくれよな。