唸れ顕示欲 轟け承認欲求
SNSが普及・発達した現代において、ネットリテラシーと同じく学ぶべきものがある。承認欲求と自己顕示欲との付き合い方だ。
承認欲求の練習をしろ 奴隷になるな
自己顕示欲とは「自分の存在や能力を他人に認められ、注目を集めたいという欲求」を差す。端的に言えば「すごいでしょ!?ほめて!?ほら早くいいね押しな!?」という極めて明るい恫喝である。顔も名前も知らない人たちからのリアクションが軽率に確認できるようになった時代の副産物だ。
マズローの欲求5段階説では上から2・3段目の承認欲求・社会的欲求に当たると思う。

看護roo![カンゴルー] – 看護師のための総合サイト【公式】 から参照
順序としてはまず生命維持に関わる食事・睡眠、その上に安全に過ごすこと、そして社会・他人と関りを持ちたい、という欲求の運びになる。健康で文化的な生活の上に社会的な欲は現れる。今晩の寝床がベッドになるか公園で新聞紙になるか心配しているうちは、誰かに褒められたいと言ったところまで欲求が回らないということだ。
この令和の時代において生理的・安全への欲求が満たされていることが多いと仮定した場合、その次に重なる社会的な(所属と愛の)欲求は、むしろ欲求の足掛かりになっているような気がする。まずはここ、というか、誰しも苦労せず、逆に意図しないままにその段階に踏み込んでいるのではないだろうか。
しかも昨今のSNS飽和時代である。自己顕示欲モンスターがSNSに跋扈し、学校ではいじめやスクールカーストがなくならないのも納得である。
つまるところ何が言いたいかってことだが、自己顕示欲や承認欲求はある程度義務教育内で指導しておいた方がいいのではないかということ。誰しも歳を重ねて相応の環境に身を投げ入れることになると、その中で優劣を感じ、傲慢や鬱など望んでいないところに行きついてしまう。私は鬱の方に走ってしまったが、一歩間違えれば人を蹴落とし見下すことでしか生存価値を見出だせない人間になっていた可能性もある。
承認欲求には「低位の承認欲求」と「高位の承認欲求」がある。前者は他人からの注目や評価で欲求を満たすことに対し、後者は自分自身で自分の価値を見出だすことができる。例えば料理を作った際、写真をSNSに投稿した後「いいね!」の数で一喜一憂するのは低位であり、その味に舌鼓を打ち、豊かな生活を堪能して楽しみを見出だすのは高位である。
低位の承認欲求には他人を巻き込むことが必須なので、中々思い通りにいかず欲求を満たすことが難しい。これに対し高位の承認欲求では他者の評価は一切関係がなく、自分自身を主軸に欲求を満たすことができるので幾分精神衛生上快適なのはお察しいただけるだろう。フォロワー数や「いいね!」という目に見える数字が蔓延っているSNS大航海時代では中々難しいことだが、他人を変えることはできないと義務教育内で教えてもらっていれば、もう少し楽に生きてこれたような気がする。
そもそも私は自己肯定感が低いので、顔写真をSNSに勝手に掲載されるとちょっとイヤだ。そしてさらに「自撮りする子は自分の顔面に自信がある」と思い込んでいるひねくれも併発しているので、アイコンが自分の顔写真になっている人のメンタルはちょっとうらやましい。SNSを開くたびに自分の顔面を見る羽目になるなんて嫌すぎる。なんて拷問だ。これは私自身のインターネットリテラシーが顔出し・本名NGの時代に形成されていることも関係しているような気もするが。中々アップデートは難しい。
かと思えば、「今日もぶちゃいく…〇にたい…つらたんぴえん」とバッチバチメイクの自撮りを掲載している人も居る。これはおおむね「そんなことないよ(ぴえんの絵文字)〇〇たんは宇宙イチかわいッ(ハートの絵文字)」と返すのが正解であり、「いやほんまブッサwはいはいぴえん乙www」などと間違っても草を生やしてはいけない。高級レストランでの食事や絶景への旅行など、他者からの羨望を求めるネタはいくらでも転がっている。それらが顕示欲へのマウントなのか、はたまた単純に記録として残したいだけなのか、判断が難しいところもまたSNSにおける重要な心理戦である。
これはこれで令和の時代特有の流れであり、数十年後には「ばぁちゃんもこれやってたわ~w」と言っていることは確実だが、そもそも「自分今日もブサイクやらせてもろてますけど個人的に優勝なんでOKっス!!」と鏡の前で叫んでいれば、SNSでいいねとコメントを気にしながら生きる必要はないわけだ。
そういうことを考えると、インターネットという世界一治安の悪い海流でSNSの大海原を泳ぐのは、他の船から社会的な存在価値を見出すことを覚えても致し方ないことと言えるだろう。
別に本人が楽しんでやっているなら全く問題はないが、たまに苦しそうだなと感じることもある。欲求は青天井かつナマモノなので量も鮮度も必要になる。むしろ過去の栄光が忘れられず…ということもあるだろう。
税金・年金・冠婚葬祭のマナーに続いて、承認欲求との向き合い方も学業の範疇で教育していただきたいものだ。私はSNSで承認欲求を満たすことに慣れていないので、そういう投稿を見過ぎると体調を崩してしまう。単純に羨ま死(うらやましくて死にそうになること)である。こういった免疫を身に着けることも大事だ。
小生のような者はちまちまと文章を打ち、なんとなく読んでもらえたらそれだけでいい。生きているだけで「うらやましい!!!」とハンカチをかみしめることなんて数えきれないほどあるのだから、SNSぐらい身の丈でいきたい。
