今改造中の、すきな魚を監視するだけの大人の夢の部屋。
最近あつ森再ブームがきた。
私が初めてどうぶつの森に触れたのは忘れもしない、Nintendo64の時。
当時としては結構革新的なゲーム内容だったのではないだろうか。「牧場物語」みたいに村や町で自分だけのライフスタイルを楽しむ中にインテリアの要素が組み合わされて、また違った意味の「その日暮らし」コンテンツが確立された。
発売当時、小学生だった姉と二人夢中で遊んだ。たぬきちのお店に並んでいる家具を日付別にノートに書き写したり、村のフルーツガチャのためにリセマラをしたり、リセットさんを怒らせて爆笑したり。親に買ってもらった攻略本に書きこんで、二人あーだこーだと言いながら遊んでいた記憶がある。
ゲーム内容の進化が忙しすぎるのは時代か
64以降もDSやスマホアプリ版などで遊んでいたが、今のswitchになってからの要素が増えすぎていまだに驚くことばかりだ。
時間の概念はポケモン第二世代の金銀から登場したように思うが、時間によって島の風景はもちろん、出現する虫・魚の変化、登場するキャラクターなどいつ遊んでも楽しめる状態が本当に素晴らしい。(虫魚については初代からあったのかもしれないが)
ポケモン金銀で親の目を盗んでコソコソと夜中に遊んでいた記憶よろしく、大人になった今でも「朝5時だからまだ夜の魚釣れるな」とか、遊びたいときにゲーム内のオフタイムがないのは驚いた。
懐古厨なので語らせていただくが、64の時は一日のタスクが終わったら本当にすることがなかった。タスクとは住民へのあいさつ、フルーツの収穫、草むしり、化石の発掘と郵便局で発送、虫・魚・貝殻を採って売る、たぬきちの店を物色する、交番に落とし物を見に行く、落ちているボールを探す、冬のみ雪だるまをつくる、などを指す。
虫・魚もそんなに出現していなかったと思う。今のあつ森は生き物がじゃんじゃか湧いてくるのでおもしろいし、回収したはずの貝殻も時間経過で湧く。まじかよ~。
何より大きいのが、他人の島に簡単に行けること。
64の時代はリアルの友人とコントローラパックが必要だった。それがどっこいSNSの時代らしくWi-Fiさえつながっていればいつでもどこでも行けるではないか。
友達がいないとしてもランダム生成の島に遊びに行けるし、一日のタスク量があっという間にどっと増えた。
タスクといっても必ずしなければいけないことはないので人によるが、家改築のための大借金と坂・橋の設置費用、パニーの島招致のための資金繰りなどお金に関することにとどまらず、資材の調達も大事な作業。
今日はアレをしよう!と決めてもやっぱりコレもしたい、だったら先にナニもしておかないとな…とどんどんやりたいことがたまっていく。
これは64時代には本当になかったことなのでゲームを起動するたびに楽しい。64の時はセーブして再起動、始める前に設定でゲーム内日時を変更する必要がある。めちゃくちゃ面倒だが、それでも楽しかったのが当時のどうぶつの森だった。
社会風刺っぽいね
どうしても昔のことと比べてしまうのが、久々に『最新のものっていいな』と思える爽快感が画面の中に燦然と輝いていた。普段あまりゲームをしない私が大人になっても安っぽさや切なさを感じず、没頭できるゲームはあまりないのでうれしい発見。
ゲーム内の自由度が高まると同時にプレイヤーの判断力が試されるのだろう。特にゲームを自由に遊べる時間が限られている子供にとってはうれしいようなつらいような、公園で走り回るよりもはるかに難しい時間とタスク管理を強いられるのは時代だろうか。
今どきの子は忙しいと聞く。学校、塾、習い事、スポ少など、週6日は何かしらのスクールに通っているという知人の子もいる。
限られた時間内であれもこれもと欲張るのは大人の思惑がにじむとは言え、娯楽のゲームにまでそんなにあれもこれもとやらせて、彼らに休まるときはあるのだろうか。
こんな疑問は杞憂であることは承知だが、大人の私でもパニックになりそうになるのに、子どもの適応能力は素晴らしいものだ。その器用さを勉強に生かせと言いたくなる気持ちもわからんでもない。
今どきの子も親の目を盗んでこそっとプレイして、カセットやコントローラーを隠されるのは今も同じなのだろうか。
とりあえず私はパニーの島にレイジを招致することに成功したので次はツネキチを誘いにお金を貯める。そのためにおでかけで雑草回収(レイジなら2倍の値段で買い取ってくれる)しながら図鑑埋めをする。そのあと植物のコーナーに黒土を敷いて交配の組み合わせを調べる。柵もあと20個くらい作る。
忙しいったらないが、今どきの忙しさも良しとして今日も遊ぶのだ。