自分の価値の日/リセット癖
今、めちゃくちゃ自分の価値が下がっている。元々のリセット癖が悪いように作用しているののは、多分睡眠不足と時期のせいだと思う。
死に触れたからかなぁ
このエントリを書くにあたり、「うっすら死にたいと思うことってなんていうんだっけな」と確認のため調べてみた。

希死念慮、そうそうこれこれ、とひらめいた矢先、グーグル先生が「どしんたん話聞こか?」とばかりにヘルプダイヤルを表示してくれた。先生ありがとう。でも違うから大丈夫ですよ。
私には元々リセット癖がある。ふとした時に「あ、もういいや」とぷつっと糸が切れて、衣類から人間関係、環境まで一気に変えたくなる瞬間がある。今回はその対象が自分に向いている。と、自覚できているくらいだからまだヘルプダイヤルはかけないでおく。
自分にヘイトが向いてしまうとどうにもならない。とにかく横になってSNSをダラダラとみる。以前抗うつ剤で治療中、薬の副作用ですべての感情が湧かない一か月を過ごしたことがあるが、その時も同じだった。食欲はもちろん、楽しいとか悲しいとか、一切の感情がない『無』だった。明確な『無』が楽と思った時間とつらいと思った時間は半々だったかもしれない。『無』とは『無関心』であり、でも他人と生きている以上無表情で生きることはできない。自分は『無』であっても、他者がそれを許容するかは別問題なのだから、ついぞ勝手にいなくなってはいけないのだ。
重ねて言うが、まだ生きて居たい。イメージの輪郭をなぞるために希死念慮という言葉を使用したが、盆も過ぎた折、そういう気にはあてられていない、と思う。が、ちょっとだけ引っ張られている感覚はあるかもしれない。
なんで髪切っちゃったんだろうとか、こんなデブでどうするんだとか、生産性のない毎日をどうするんだとか。とにかく考えてもいいことなんて一ミリもないのはわかっているけれど、無理に運動するなどしてリフレッシュ!というのは私の性分に合わないので絶対にしない。したらしたですっきりするんだろうけれど、一回とことん落ち込んだらいい加減に飽きるタイミングが来るのを知っているから、少しだけ横になる時間を増やす。時間でしか解決できない問題もあるのだ。
とはいえやりたいことは、なんやかんやでたくさんある。読みたい本もあるけれど、一気に読むと文体が引っ張られてしまうのでちみちみ読む。今はカレー沢薫さんの本を読んでいる。私に全く関係のない人の活字を読むのは気分転換にとてもいい。しばらく一人になってただ文字を打ち付ける時間があってもいいのかもしれない。
