知人に「ブログ見たよ」と声をかけていただいた。ここ数日で一番うれしかった。

徒然の日々
「徒然なるままに」とは、ご存じ吉田兼好の随筆『徒然草』の有名すぎる書き出しである。後に続く言葉と合わせて現代語訳すると「毎日バリ暇やしとりま日記みたいなん書いたらなんかめっちゃヤバいのできたんだけど大丈夫そ?」みたいなことなんだけれど、昔も他人の私生活を覗き見ることができる随筆・エッセイはウケていたらしい。当時ツイッター(現X)があったら吉田兼好はバズりちらかしていたのだろうか。
このサイトはブログ・エッセイとしてカテゴライズするのが正しいと思っている。そもそも媒体が「はてなブログ」と名乗っているわけだし、そこまでアフィリエイトに特化した内容をこのページに付与するつもりもない。(そのうちまたWordpressでやりたいとは思っている)
私は文章で悩んだことがない。というと語弊があるが、作文の類は学生時代から得意だった。夏休みの読書感想文はどれだけひどい突貫工事でも県のコンクールでいい感じのところの賞を頂けていたし、スピーチも割とペラリとしゃべる。内容はさておき、手も足も出ない状況をを免れることはできるぐらいの素質はあると自負している。
ところが社会人になると他人宛の文章を書くことがメインになる。上司に見せるレポート、取引先へのメール、お客様宛の季節の手紙。思えば、学生時代は評価を受けるための文章が求められていたのに対し、社会人は常に相手ありきの言葉使いが求められる。「ンなことできるかよふざけんな」を「大変恐れ入りますが対応致しかねます」と変換することの難しさよ。他人にわかりやすく・丁寧に伝える文章は経験と実践、あとは社会人としての常識がないとできない。その時の苦労は今でも生きている。
文章・作文に対して抵抗がないのは学生時代の国語教師に恵まれていたからだと思う。その場しのぎの指導ではなくきちんと説明してくれる先生方だった。せっかく書いた作文を一方的に添削して修正されるのでは面白くないが、「この書き方だと違う捉え方もできるからこういう書き方もある」と教えて頂けたことは今大きな財産になっている。
正直このブログはいつ飽きるかわからないなとヒヤヒヤしながら書いている。元々飽きっぽい性分なのでこればっかりはわからないけれど、今のところ書きたいことは多々あるし、なんとなくそれっぽく続いている。ちなみに私がブログを書く時は、ふと思いついた「アレについて書こ」をとりあえず書き始めて、書き進めながらなんとなくまとめに入る。起承転結をしっかり考えても「あのネタここで入れよ」と脱線することばかりだから、基本的にオチありきで書くことはしない。というかできない。
なんだかんだでそれっぽくまとまっているような気がしているので、今後もそのスタイルでいくつもりでいる。文章はそれっぽいことが大事。柳原先生には申し訳ないが、学びから15年を経てその結論に至った。これもまた成長である。