【6.7 日記】儀礼的無関心と大阪のコミュニケーションについて考えよう

おはよう。日記の時間だよ
空気読むって合理的ってはなし
儀礼的無関心(礼儀的無関心)という振る舞い方(マナー)がある。
アメリカの社会学者アーヴィング・ゴッフマンが提唱した、公共空間で他者と円滑に共存するための暗黙のマナーを指す。
つまり見知らぬ人同士が同じ空間にいるとき、「相手を認識しつつも、詮索や干渉はしない」態度をこのように難しい言葉でまとめているのである。
無関心聞くとどこかそっけない、冷たいような印象を持ってしまうかもしれないが、それは場合によって他者との適切な距離感を保ち、ひいては共存しやすくしている気遣いとも言える。
この「無関心」を儀礼的・礼儀的と指しているのは、例えば顔をチラッと見ただけで挨拶をしないとか、カフェで隣の人の会話に首を突っ込まないとか。「誰にでも挨拶をきちんとしなさい」「誰とでも仲良くしなさい」といった一般的なマナーと真逆の行為をした方が時として礼儀としてベターである。ということだ。
言われてみれば「そりゃそうだ」な話。
特にこのご時世、誰かれ構わず「おはよう!今日は暑いねぇ!」と声をかければ「あいさつオバサン」として町内の不審者情報に掲載されてお巡りさんが走ってくるかもしれないし、カフェで隣に座った人が素敵だからと声をかければ壺でも買わされるのかと不審者扱いされることだろう。
いわゆる「空気を読む」という便利な日本語が相応しい振る舞い。
満員のエレベーター内で誰かがプゥッとおならをしたとしても、周囲をキョロキョロ見たり、「くっせぇ~」と鼻をつまんでケラケラ笑ったり、緊急ボタンを押す子供がいたら「コラッやめなさいッ」と親は叱るだろう。まぁそんなもん。
儀礼的無関心と聞いた時、全く逆の性質を持つものを思い浮かべた。
大阪の人間だ。

これはAIに「大阪のオバチャンつくって」と指示した図
誤解のないように先に断っておくが、これは大阪以外から越してきた人間の意見である。諸説あるのでお間違えの無いよう。
大阪人以外、特に関東の人が「関西の人はグイグイ来るから苦手」と言う話しをよく聞くのは、この儀礼的無関心の圏外に指定されているのかも、と思った。
実際に住んでいた経験から言うと、東京はマジで「他人に興味を持ってもらちが明かない」。人種のるつぼ、いちいち通り過ぎる人に対してあぁだこうだと考えていたら気が狂いそうになる。自分の身を護るために余計な発言・行動を控えている。それがTokyo city.(逆にこれが「東京の人は冷たい」と言われる所以でもあるのだが)
だが大阪は、よく言えば他人との境界線が曖昧で面倒見がいいと言える。
素敵な服を着ていたら「それめっちゃええやん!」、襟足を刈りこんだら「めっちゃ襟足キレイやねぇ!」道案内をして「助かったわぁ!姉ちゃんも気をつけてなぁ!!」
すべて見ず知らずの他人から言われたことだが、本当に大阪に来て1ヶ月ぐらいで言われた。東京に5年住んで一度もそんなことなかったのに、だ。
これの驚くべきところは、打算的な行動ではないことにある。本当にサラッとしている。パッと言ってワッといなくなる感じ。(残念ながら花火と例えられるほどの風情はない)
そのあとネチネチと話を続けることや怪しげなパンフレットを広げることもない。「伝えたかったから言った」だけでそれ以上も以下もない、ドップラー効果を体感するまでもなく勢いだけが残るコミュニケーション、これぞOsaka city.
海外では「そのドレス素敵ね!」「今日のあなたすごくクールよ!」みたいなことをフランクに言い合う文化があると聞くが、そんな感じなのかもしれない。逆に辛辣なことをサラッと言われることもあるから一概にそれがいい悪いは決められないが、コミュニケーションの文化の違いとして中々面白いものである。
実はこの「儀礼的無関心」を知って、自分の振る舞いが肯定された安心感もある。
他人にあまり興味がないのが大きいが、とにかく必要以上に他人のことを考えたくない悪い癖がある。とにかく人と会うとすっごい疲れてしまう。楽しいんだけどね。
だから「自分ってなんて薄情なんだろう」「本当に人でなしだな」と凹むこともあるが、それも一種のコミュニケーションとして正しい振る舞いである・・・こともある、と知っているだけでなんとなく気持ちが軽い。
私の場合はもう少し根深いところに問題がある気がするけれど。考えれば面白い問題である。
