スナックかなえ ママの手酌酒

泥酔したら閉店するわよ

仕事経験は財産にするが吉。パチ屋引退おめでとう🥳

5月いっぱいをもって、1年7ヶ月勤めたパチンコ屋を辞めた。

元々パチンコには興味がなく、遊技したことも入店したこともなかった。

完全な初心者がいきなりバイトで入ったもんだから入社して半年は本当に真面目に病んだし、竈門炭治郎ぐらいの責任感がある私だからなんとか喰らい付いてお金を稼いだけれど、もう二度とやりたくないというのが本音だから綺麗に辞められて本当によかった。

 

初心者からのパチンコ屋デビューについて

なんでパチスロで遊んだこともないのに働いたの?と聞かれたら、私の仕事選びのポリシーにある。

「仕事選びで悩んだら両親の好きなことに携わる」というもの。

これは正直、めちゃくちゃ親に媚びている。

23歳で家出同然で上京してさて働くかとなった時に、親が好きなものに携わっておけば帰省した時に話のネタになるだろうしよくね??という後ろめたさと開き直りの結晶であり、今思えばちょっとだけ涙ぐましい。

それっぽい理由をつけさせて頂くなら、両親が好きなものは少なからず遺伝子として受け継いでいるだろうということがある。

うちは何故か機械(特に車)に関係する仕事をしている人が身内に多く、これはそういうことでは?という推察であるが、多分関係ない。

 

ただ事実、父の車好きと母の植物好きは受け継いでいる。

気がつけたのはガソリンスタンドと花屋で働いたからであり、今も父とは車のカタログを見てあーだこーだと話をするし、母とは植物公園に行く。

その分野に明るくなれたことは財産として感謝している。(仕事を続ける気にはならなかったが)

 

ということで既にお察し頂けているだろうが、パチンコ屋で働くのは父がパチンコ好きだったからである。

勝てばシルバニアの人形を買ってきてくれたり(今思えば景品で交換したんだろうな)、当時ウチで流行っていたナタデココゼリーを買ってきてくれたり、次の休みには熱帯魚の水槽に魚が増えたり。

ただ父がパチンコに行くと母の機嫌が悪くなるので、あまり褒められた趣味ではないことは幼ながらにほんのりと理解していた。

余談だが、第二子である私が産まれた時、父はパチンコ屋にいたらしい。

 

 

パチ屋ってもう時給よくないんですよ

パチ屋だと時給いいでしょ」とかよく言われるが、昔ほどよくないんですよ。

その分重い玉やメダルの運搬がなくなったり、筐体のトラブルが改善されたりはあるだろうけれども、普通にしまむらのバイトの方が時給がいい。

クソッタレである。

もちん店舗によっては水商売と変わらないような時給、ピアスネイル髪色自由という所もある。

そもそもパチンコ業界自体がかなり難しくなっていているみたいなので、これから高時給ならパチ屋!という選択肢はなくなっていくでしょう。

あと昔はお客様からおひねりとかもらえていたらしい。いいなぁ〜〜〜〜〜〜〜

 

仕事内容としては、オープン準備の1時間と休憩45分を除き、ず〜〜〜〜〜っと歩いて走っていた。

呼び出しボタンを押されたら走り、球が出てこないというトラブルには「まず金を入れてくれ」と説明し、常連客の「店休の次の日は海の出目が悪い」という謎の理論を聞き、「赤の雪だるま保留でハズレたのはおかしいから責任者を呼べ」というヨン様も真っ青なジジィをなだめる。

今思えばまともな人間はどこにもいない。

 

筐体に関するトラブルならまだなんとかなるが、お金のかかっている場所ゆえに殺伐とする場面も多かった。

モンモンの入ったジジィが人を殴る場面とか、他人のバッグを盗んで逃げた奴とか、一切遊技しないのに半日以上ホールをうろうろし遊技観戦と新聞を読むだけのジジィとか、立ち去った後なぜか濡れている椅子と画面を撫ですぎて手垢で真っ白にするババァとか、犬を連れ込んで散歩コースにするババァとか、泥酔状態で入店してジャグラーに100円玉突っ込もうとするにいちゃんとか。

言い出せば本当にキリがないのだけれど、もちろんその分素敵なお客様もいらっしゃる。

今すぐには思いつかないのでまた別の機会にする。

 

 

仕事って色々してみた方がいいと思う。

仕事自体はキツかったし、その分生活が楽になると言うわけでもなかったから正直ツラかった。

何度もやめてやろうと思ったし、実際最初の3ヶ月はお局さまがキツかったこともあり毎日辞めることだけを考えていた。

悔しいの気持ちだけで1年7ヶ月続けた結果、多くの方から今までありがとうとお言葉を頂けた。テンプレートだとしても嬉しいものである。

 

一番うれしかったのは、3ヶ月くらい前に入店してきた24歳の子から「かなえさんが居てくれたおかげで頑張れました」と言われたこと。

シフト的に性格のキツ〜〜〜〜いお局様と一緒になることが多く、お姉様たちのお陰で退職率が高い分スタッフのクオリテイが高いことをお局様たちは誇りにしていた。

店からするといい迷惑である。

新人ちゃんは私がアレコレ言う前にお局様達からグチグチとご高説を頂戴していたのでとりあえず見守り、ババァそれは言い過ぎやでと言う時だけ助け舟を出し、彼女の推しを褒め、更衣室で愚痴を聞くだけだった。

それでも、「正直あの時めっちゃツラかったんで、かなえさんがいなかったら絶対無理でした」と言われたら、嘘でも嬉しくなってしまうのが人間である。

 

私は自他ともに認める偽善者なので三方良しを人生の教訓としている。徳にも害にもならない人間でありたい。

社員さんからはお局様の愚痴を聞き、お局様からは新人がいかに使えないかを聞き、後輩からは社員とお局様の愚痴を聞き、その他スタッフとは美味しいご飯屋さんの話をした。

ここで学んだことは、傾聴とまではいかなくても、話は一回聞いて一回肯定しておけばなんとかまとまるということである。

これについてはまた別の機会に説明させて頂く。

 

パチンコ・パチスロの筐体の仕組みはもちろん勉強になったが、一番実践で勉強させられたのは人間関係だったというオチ。

しかも、対お客様ではなく社内関係。パチ屋の店員さんのインカムはだいたいこういうことをしているのだ。

今までも長く接客業をしていたが、ここまで実践的に身に染みるまで勉強させられたのは始めてだったし、もう二度としたくない。

1年7ヶ月でどれだけ成長できたかはわからないけれど、いろいろと考えさせられる場所だったし、普通に生活をしているだけでは得られないネタをたくさんもらった。

 

ただ一つ残念だったのは、第一の理由を作ってくれた父が既にパチンコを引退していたことである。

「うるさいし疲れるししんどい」と言っていたが、割と正常な感覚を持っていてくれたことに安堵した。

あの空間を日常とするのは私もしんどい。

その感性も含め、やはり父の子であると思う。似ているのは顔だけじゃないんだなぁ。

 

 

悩んでいた当時、めちゃくちゃ傾聴や会話についての本を読んだ。

面白かったから感想文したい。