かなスの巣

後腐れのない日記帳

違和感とインターネット/小賢しい老害

 インターネットを楽しむコツは、ある程度無知でいることだと思う。

インターネットに真実はない

 インターネット、昨今ではSNSが好きなので今日も今日とてパトロールをする。有名な観光地に行ってきました!今日のお昼はコレ!〇ちゃんとカフェ~!華やかでいいですね。

 ところがどっこい、この厄介な小姑のような私にかかれば、論破の対象になりえるのです。

  • 朝は白湯で代謝アップ♡電気ケトルで沸騰させるだけで簡単♡
    →白湯は口の大きく開いた容器で10分以上沸騰させ続けたものを指します。よってそれはただのお湯です。
  • ダイエット初日!昨日より1キロ減ってる~~!
    →おしっことか汗とか出ない体質なのかな?人体は1キロぐらい水分の差があるのでただの誤差です。今日がボディビルの大会なのかな?
  • このサプリほんっと簡単に痩せる♡購入はこちらから♡
    →「痩せる」という直接的な表現は薬事法にて禁止されてています。
  • これ本当においしい人類みんな食べるべき
    →それで食べられなくなって「必要ない人は食うな」までがお約束の流れですねわかります。

 

 普段見ているカテゴリがモロバレで少々恥ずかしいのですが、なんというか、詰めの甘さがどうしても目についてしまう。私の心の中のひろゆき氏が「それってあなたの感想ですよね?」「ソースはどこにあるんですか?」とけたたましく騒ぐのを「まぁまぁインターネットの大海原、ゴミの一つや二つ…」となだめるのだ。インターネット老害はこれだから煙たがられるというのに。

 インターネット然り、本を読んだりとインプット量が多いと耳年増になっていけない。その中で情報を疑い、徹底的に精査することを学んだのは10年前くらい。特にインターネットの情報なんて、どこのだれかも分からない人がどこで誰が書いたか知らない文献をコピペしてそれっぽくまとめている集合体にすぎない。これが私が常に「インターネットに真実はない」と強調している理由だ。

 というかそもそも、理論というか理屈が気にならないものだろうか。例えば白湯であればなんで加熱するのかとか、そもそも発祥はどこからなのか。答えは長時間ボコボコと気泡がでるまで加熱することで、アーユルヴェーダが重要とする風・火・水の三要素を取り入れているためどんな人にも適応しやすい。という理由がある。(これも素人の私が調べただけなので、気になる人はきちんと調べてほしい)

 理屈がわかればそのことだけにとどまらず、もっと他のことにも応用できるのでは?と思ってしまう。

 

 極端な例だが、調べた情報の掴みどころが悪く、本来なら受け取れるものを放棄してしまったとか。〇〇が最高!という言葉を信じたが実際はステマだったとか。無責任な情報である以上、どうしたって無意識下でもだまし・だまされが発生する。当人にその意識がなくても情報発信しているほとんどの人は有識者・プロなわけではないし、そこまで責任を負ってくれるはずなんかないのに鵜呑みにすることがどれだけ危険か。

 だから私は気になったワードがあればとにかく調べる。とりあえずインターネットを駆使してソースを確かめて、それでも不安だったら本を買う。本のいいところは奥付があるところにある。誰がどの情報をまとめていつ発行したのかがわかるだけで信頼度が違うし、発行日が古ければ情報も古いのかもと疑うこともできる。

 私が興味がある分野は健康とか手芸のことが多いから仮にデマをつかんでもなんてことはないけれど、これがもし法律とか、生死に関することだととんでもないことだ。あまり具体例を挙げると叩かれるのが怖いのでそっとしておくが、自分が正しいと思ったことをさも世間一般論として、しかも無料で、何なら企業からのPR案件としてお金を受け取って発信している可能性がある情報を、諸手を挙げてありがたがるのは少々知性に欠ける気がする。発信側の真意がくみ取れない以上、受信側がしっかりとアンテナを張り精査する必要があるのだ。

 もちろん私自身も気が付かないうちに虚偽の情報を発信している可能性がある。私自身も発信する身であるからこそ、情報の真偽に気を取られてしまうのかもしれない。

意味を求めてはいけない

 多分私は意味のない情報が好きではないのだと思う。意味のない情報なんてこの世には一つもなく、意味は個人がそれぞれ考えて加えるのもだから私に非があるのだけれど、「それって何になるの?」と思ってしまう。

 最近よく思うのは、キーボードをタイプするかカチャカチャ音をASMRとしてまとめている動画。そんな一秒に一回スペースキー押すタイピングがあるかい。せめてなにかしらの文章をタイプするときの音の方がリアリティがあっていいんじゃなかろうか。

 でもこれは「カチャカチャの音が聞きたい」という人がアクセスする動画なわけだから、リアリティを求める私が見ても何も響かないのは当然だ。正直私だって「あのイーハトーヴォの透き通った風、」とタイピングしている音が聞きたいわけではないのだから。むしろその音が聞きたい!と思うのは、購入を検討しているキーボードがある時だけなので結局自分が必要としている情報以外に興味はないのだ。

 

 そもそも、インターネットで見た受動的な情報に価値を見出すことの方が難しい気がする。「あれってなんだっけ?どうするんだ?」と興味を持って調べたことであればすぐに実践するだろうが、インスタグラムやティックトックなど、一つの情報から「こういう情報好きじゃないですか?」と関連したものを引っ張ってくることが多い。 だから気が付いたら数時間SNSで時間を消費してしまっている。そういう時間の中で得た知見はとりあえずブックマークだけしておくのだけれど、後で読み直すことは基本的にない。つまりそういうこと。

 そうと分かっていてもSNSを見続けるのは、私が毒吐きネットマナーネチケットを学び、インターネットを介してオタクをしていた実績による安心感あるからなのかもしれない。して、老害とはいえ他者を攻撃することはないのでご安心いただきたい。そしてこのブログはSNSと思っていない。ただのインターネットの空き地に転がっている日記ぐらいのものだ。

 今日も今日とて老害はひっそりと、だんまりと、インターネットの大海原をぷかぷかと漂うのであった…