かなスの巣

後腐れのない日記帳

得手不得手 私は緑を育てられない

 最近スーパーの白菜がだんだんとお手頃価格になってきてうれしい限りである。じきに正月用のやや割高な野菜が目立つ前に「98円」が見られて助かる。

育てられない緑たち

 私は葉っぱものが育てられない。どうやったって駄目にしてしまう。三度目の多肉植物、溶けていなくなった水耕栽培の水菜たちですっかり意気消沈、こんなに悲しい思いをするならば、とジョウロを処分した。

 とはいえ元々花屋に勤務していたし、旅行先に植物公園なんかがあればぜひ足を延ばしたいと思う程度には植物が好きだ。これは完全に母親の影響なんだけれど、「ホゥホゥ皇帝ダリアもそろそろ終わりですねェ」と街中の移ろいに感心することはできる。

 逆に母はとんでもなく園芸がうまい。土いじりがうまいというか、花でも野菜でもなんでも育てる。どこかの公園で回収した種から育った花たちがニョキニョキと育ち、越冬は難しい植物を難なく越させる。専用の温室があるわけでなし、本当に意味が分からない。二年目のポインセチアがほんのり色づいているのを見た時は、もはやゾッとした。

 祖母宅の畑も同じく、両親ともに次はアレだその次はコレをしなければと、甲斐甲斐しく性を出している。その結果、うちには「これは買ったのか?」と疑う程立派なキャベツやニンジンが届く。ありがたいことこの上ない。

 不得手で言うと私は植物を育てることと、細かい帳簿管理とんでもなく苦手。奇しくも母親は両方大得意だ。

 とは言えこれは母の才能というより、長年の実践経験がものを言っているほかないともわかっている。大企業の事務員を退職後、実家の事業の経理をしていたら、そりゃあ数字の扱いと税などの知識は素晴らしいものになる。土いじりの歴はそれより長いはずだ。

 父も高校は農業科を卒業し、今は自動車整備の仕事をしているから農業機械のメンテナンスもするし、そもそも勝手知ったる実家の畑。うらやましい~とハンカチを噛む前に、両親の今までの苦労に着目すべきである、ということは言うまでもない。

 私が生まれてこの方死ぬ気で頑張ってきたことなんて、呼吸以外に思いつかないのだから仕方がない。長年コツコツ。これに尽きるのだろう。

 

 年々、土いじりがしたいなぁ~と思うことが増えている。苦手と割り切ることは簡単だが、だとしても、きちんと腰を据えて取り組んでみなければわからないことの方が多いはずだ。

 なんかサ、朝5時頃起きてきて、寒い寒い言いながら朝露の滴る野菜を収穫してサ、それであったかいスープなんか作っちゃって、肉料理にはハーブをピッと摘まんできて添えてサ、夕飯の厨仕事の最中に「ちょっとネギ3本くらい取ってきて~」「え~めんどくさい~」「ンモ~~」みたいな会話なんかしちゃったりして、サ。

 そんなユートピアが完成するまで何年かかるんじゃい、という話は一旦置いて、以前は全く魅力に思えなかった「家庭菜園」がうらやましく見える。

 多分これは実家を離れてからが長くなり、単純に近場の農作物が恋しくなっただけなんだろうと推察はしている。だが、今後の生き方の一つとして、目安にするのもいいかなぁと考える。

 理想は理想、言うだけタダ。というわけで最近家庭菜園のブログを読み漁っている。どの畑も立派ですごいなぁ、と感心しきり。苦手と言い切る前に、こちらから歩み寄ることをやめないようにしなければ。