【明るい絶望すぎた】みいちゃんと山田さん 読書感想文【ネタバレあり】

こんにちは。読書の時間だよ
ずっと気になっていた「みいちゃんと山田さん」、最新刊の6巻まで読みました!
私はすごく落ち込んでいる時に陰鬱な漫画を読む悪癖があります。

こんなに可愛い表紙で「みいちゃん」なんてプリティなのに、何やら不穏な感想ばっかり!
とりあえず読んでみたよ!

以下ネタバレ盛りだくさん!気を付けてね
みいちゃんと山田さん (マガジンポケットコミックス 亜月ねね)
2012年、新宿。
夜の街でキャバクラ嬢として働く山田さんは、
何をやっても”ちょっと足りない“新人・みいちゃんと出会う。
ヤル気と元気はあるものの、漢字も空気も読めないみいちゃんは、
周りから馬鹿にされ「可哀想」のレッテルを貼られてしまう。それでも、健気に働くみいちゃんの姿に、山田さんは徐々に心を惹かれていき―――。
不器用で愛くるしい女の子たちを巡る、夜の世界の12か月。(amazon紹介文より引用)

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「胸糞悪い・・・」の中に、日本ではまだどこかタブー視されている「生きづらさ」についてがやたらポップに可愛く描かれている作品。
カワイイ見た目の綿あめがグズグズに崩れて、食べるにも捨てるにも、どうにもならないままに地面に落としてしまうような、見え透いた絶望。
生きていくために誰かと比べて安心して、進んでいるようで何も変わらない毎日に、さも変化があるかのように振舞う焦燥感。
21歳の幼さ。無知。過去を言い訳にした羨望。すぐそばにある恐怖。みいちゃんも山田さんもきっと悪くない。
これは確かに読むのに覚悟が必要だ・・・!
みいちゃんと山田さんのいびつさ
二人の関係の歪さはタイトルの「みいちゃん」と「山田さん」のフォントからもわかる。
「みいちゃん」は子供が描いたようなアンバランスで不安定な愛称に対し、「山田さん」の不自然なほどキレイに整えられた不透明な苗字。
良くも悪くも自由に「ふつう」ではない形で生きてきたみいちゃんと、親の敷いたレールから外れる度胸もなく流されてきた山田さん。
山田さんはみいちゃんのことをペットの「ハムカツ」を見るような、何をしでかすか分からない愛玩動物を躾けする責任感で理性を保っているだろうし、そもそもみいちゃんはその日を生きること以外に何もできない。
山田さんこそ「ちょっと過去に難ありだけど正常」と思って読み進めていても、次第にちりちりと違和感が火花を散らし、この二人の関係性に納得してしまう。
だれが「正しい」のか?
読み進めていくと、いつのまにか自分が「山田さん」の気持ちで読んでいることに気が付いた。
これは語り部が山田さんだからという理由ではない。
「私も山田さんと同じく、みいちゃんを憐れむ立場だ」といつのまにか自負していた。
これってめちゃくちゃ怖いことで、いつの間にかみいちゃんを見下し、「だらしない子」「こういう子いたなぁ」と絶対的に自分ではないと思い込んでいる。
でもこれはみいちゃんからしても同じで、無能だと笑う教師も、体だけを求める男も、「みいちゃんはもっとすごいことができる!」と信じて疑っていない。
読者である自分を含め、登場人物すべてが自分を正しく認識しようとしていない。
桃花の回想シーンで「人間は受容体の塊である」と綴っている。
受容体の感度によってヒトは他人との境目を見出だし、第三者の視点を気にして生きることになる。
だがどうやってもこの受容体の感度が鈍く、他者に気を使えない人らがいる。それがみいちゃんのような人たちである、と。
かと言ってみいちゃんがおかしい!というわけでもなく、この鈍さにすら気が付けていない結果が「生きづらさ」の正体である。
この事実に気が付いていながらみいちゃんと山田さんと接する桃花も相当癖アリすぎる。(彼女は彼女なりに努力と方向を選んでいるんだろうけれど)
最初こそ「みいちゃんヤバい・・・」と思っていたけれど、次第にその輪郭がぼやけてくる恐怖に気が付いた時、本当に怖かった・・・
山田さんと同じ穴の狢
最初こそ「みいちゃんに比べて山田さんはマトモな人だな」と思っていた。
が、見方を少しずらせば、親の金で大学に通っているのにサボってばかりで水商売に精を出している。
彼女は彼女なりに「本当は漫画家になりたい」「母親の言いなりになりたくない」とそれらしい理由を連ねているが、実のところは何も行動を起こしていない。
その結果、母親を納得させるだけの実績も作らず、そのくせタブレットをみいちゃんに壊されて発狂(まぁこれは仕方ないか・・・)、急に押しかけてくる母親にも逆らえず、みいちゃんを盾に同居を始める。
「もっと〇〇になったらはじめる」というのは、永遠にはじめない人が言う常套句である。本人は知識ばかりが頭でっかちで、「自分の絵で喜んでもらえた」過去の栄光だけで「漫画家になる」と道を誇らしげに掲げている。
これであれば、「みいちゃんはこれしかできない」とお金を得るために体を売る行動しているみいちゃんの方が、と考えざるを得ない。
最早倫理観はすっかりログアウトしてしまっているが、生きるとはそういうことだと思う。
「あれ、もしかしたら山田さんも相当やべーんじゃ・・・」と気が付いた時には遅かった。
そして同様に「私は通常」といった顔をしているキャバクラの常連も、よくよく見ればどれも歪で偏った人間ばかりである。「まとも」「普通」とは何なのだろうか。
無知の知と環境
「無知の知」とは古代ギリシャの哲学者ソクラテスが唱えた「自分が無知であることを自覚している」という認識のことである。
先述の受容体と近しいものがあると思う。
みいちゃんに不足しているのは圧倒的に適切な教育で、そもそもの自己認識がまったくもってズレてしまっている。
識字能力や一般教養はもちろん性教育、社会的常識、善悪の区別など、現代であれば然るべき機関に頼る問題を、田舎の閉鎖的な環境によってその機会をすべて奪われてしまったみいちゃん。
幼馴染のムウちゃんを無意識に見下し、彼女を非行の道に走らせてしまった意識も罪悪感もない存在は邪悪でしかないだろう。
閉鎖的な田舎であれば「手のかかる子」は家から出さず隠して生きていくのが暗黙の了解な部分がある。親が死ぬときは子も一緒に連れて行く、ぐらいの子育てをしているのが因習だった歴史すらあるほどだ。
みいちゃんの家系がかなり特殊なところはあれど、それでもみいちゃんを単身で東京に送り出したのは口減らしだったのだろう。見え透いた残酷さである。
その点ムウちゃんは適切な機関からの援助により本人も納得する形で就業ができている。不本意な過去を作ってしまった点はあれど、確実に前を向いて生きている。
完結する前から「みいちゃんは誰かに殺される」ことが確定している以上、どこで取り返しのつかないことになっているかは定かではない。
ただ少なくても体ではなく言葉と態度で許しを請うことを学べなかった時点で、ハッピーエンドは到底望めない絶望が漂っているのは致し方ないことなのだろうか。
みいちゃんを殺したのはゆるい絶望と哀れみか
2026年4月現在発行されているのは6巻、第一話に「これは みいちゃんが殺されるまでの12か月のお話」と結末が書かれている。
・・・ヤダもう!怖い!!!やめてー!!
6巻はみいちゃんが地元・宮城に帰る新幹線のシーンで終わっている。
・・・次の巻にはみいちゃん死んじゃうんだ・・・
え~~どんな気分で待ってたらいいんだろう。。。やだなぁ・・・
と言いながら、私もすっかり野次馬の気分で読んでいる。
さも私には全く関係のないフィクション話として読了したつもりになっている。
これが恐ろしい「受容体の感度の鈍さ」であろう。自分は「みいちゃんよりマシだ」とでも言うように。
そういった意味でも大変に後味が悪い。これはいい鬱漫画だ・・・
最終巻は2026年9月発行らしい。待ち遠しいようなそうでないような・・・

