12月の夜に窓を開ける
なんだか最近くさくさしていけない。低気圧とか周期とか理由をつけようとすればなんとでもなるのだが、それを考えることさえ億劫である。
冬はナーバス
そもそも私は冬季鬱の傾向がある。今までに鬱のケがあるもんだから今更何を、とは思うのだが、やっぱりどうしても季節の変化に弱い。
生きる力が弱いということなのでもあるのだと思う。あれもこれもやってみたい、人生死ぬまでの暇つぶし、とはならないし、必要最低限が適度にあればいい。
今まで病気知らずだったもんだから、ふと何かしらで精神的に「おや?」と思うきっかけがあれば、あれあれまさかと決まりが悪い。精神病は気の弱さなんてことは口が裂けても言えないが、この体のことなのに、どうしてこうもうまくいかないものかと情けなくなる。
誰が悪いわけでもないし、私とて自分の弱さを否定することはできない。「あぁそんなときもあるわな」とは理解できるけれど、解決策があるわけでも、いつになればスカッとした晴れ間に突入できるかもわからないのだから仕方がない。
そう考えてみれば、抗うつ剤を服薬している間は本当につらかったが、「あとは治すだけ」と安心感があった。心療内科の先生が処方された薬を飲み、二週間に一度は先生とどんな感じだと話をし、お世辞でも「ちょっと表情が柔らかくなったね」と言われたら帰り道はスキップしたくなる。
今は縋るものも命を懸けているものもなく、ただ漠然と何となく生きているのだから、不安に飲み込まれてぼんやりするのも仕方がない。理論的に考えていけば納得できるのだけれど、どうしても短絡的になりやすいのが冬のいけないところ。
かといって打ち込むものがあったとて、結果がどうとか人間がどうとか、いずれにしたって他の悩みはついて回るのだから、結局こうして机上でぐるぐる考えているだけが一番いいのかもしれない。何も考えずにさっさと熱い風呂に入ることだ。
風呂上がりの22時に窓を開ける。外気は冷たいがそこまで乾燥していないから、まだ芯から冷えるようなことはなく、風呂で蓄えた熱をほどよく奪っていき心地が良い。
何かしなければと焦燥感と無気力がせめぎあった結果、とりあえず椅子に座ってタイピングしている。何もしないよりはマシ、だと思う。
今までの人生経験上、恐れからの行動は上手くいかないと思っている。こうなったら嫌だからああしておこう、という、ネガティブな先手はだいたい意味をなさない。そうわかっているからこそ、あたり触りのないことをそろっと撫でておく程度にする。
最近SNSに吉本新喜劇の動画がよく飛び込んでくる。新喜劇の役者さんはそんなに明るくないが、それでも快活な動きと発声で向けられる芸にはつい笑ってしまう。
何もしたくなくて何時間もベッドに横になっているだけなのに、面白いものを見ればフフッと声を出して笑ってしまう。笑えるからまだ大丈夫だと思う。笑いの力ってすごいなぁ。
冬は何かと考えてしまう季節ではあるが、同時に一番好きな季節でもある。この旬のうちに、しっかりナーバスを噛みしめておくのもいいのかもしれない。

