私は大食い動画(いわゆるモッパン)が好きだ。日本だと元大食い女王のロシアン佐藤さんが有名だが、大きな皿にこれでもか!と盛られた食事をキレイと平らげる様はいつ見てもすがすがしい。
食事のマナーってむずかしい
モッパンとは韓国語の「モンヌン パンソン=食べる放送」を縮めた表現で、文字通り食事をするだけの動画が大ヒットしている。キツネ色のチキンにたっぷりとディップソースとつける、こってりと脂が光る麺を頬張る、はち切れそうに肉汁を閉じ込めたウインナーをかじる。ASMRとの相性も良く、「あぁおいしそう、食べてみたい」と思わざるを得ない。
元々日本人の動画をよく見ていた。ロシアン佐藤さん、ぞうさんパクパクさん、大食い主婦もぐちゃんさんなど、競技としての大食いではなく、手料理を好きなだけ食べるスタンスが好きだ。特にロシアン佐藤さんは食の知識はもちろん、手軽に作りやすいレシピを公開されているし、なにより食べ方が美しい。これは同じく「大食い」と言う言葉を世の中に知らしめたギャル曽根さんもだが、食べるという行為に美しさと、作り手に対する敬意が備わっている。
日本の食事マナーは、中々細かいように思う。箸の扱い方には「禁じ箸(手)」と呼ばれるタブーが多くある。
二本の棒を扱うだけなのに、とにかくアレもコレもダメとされている。私は幼少期から結構うるさく言われていたので、理由はさておき「とにかくやったらダメ」なこととして捉えているが、改めて調べてみると中々に面白い。
ご飯茶碗に箸を突き刺す「仏箸」は死者の枕元に供えるものだから縁起が悪いとか、箸で食器を叩く「叩き箸」は餓鬼を呼ぶとか。「霊柩車が通るときは親指を隠せ」といった、子供だましの迷信が時を経ても尚大事にされているのは素晴らしいことだと思う。
逆に言うと、これらのマナーが特にない韓国の食事風景(モッパン)には何度も「ん?」と思うことが多い。口に入れた食べ物を更に箸で押し込む「込み箸」、食べ物に箸を突き刺す「刺し箸」、食器を持たない「犬食い」など。もちろん文化の違い故に一方的に非難することは間違っているし、モッパンと言う映像としての食事のため、パフォーマンスとして行っていることもあると思う。見慣れないものに対して嫌悪感を抱くことは仕方がないが、改めて調べてみると国ごとの文化の違いも中々に面白いのだ。
さて、私は丸亀製麺のうどんを本当に愛している。何度でも言うが、丸亀製麵のとろ玉うどんは毎日でも食べたい。
店内でうどんをすすっている時にふと周りを見れば、麺を噛み切っている人が結構いる。確かに丸亀製麵のうどんは結構太いし長いので食べにくい。だがどこかで「麺を噛み切ってはいけない」と聞いたことがある。さてこれはどうなんだろうと調べてみた。
麺を噛み切ることに対して明確な禁止理由はなく、「一度口につけたものがまた皿に落ちるのが美しくない」ということらしい。まぁなるほど、わからんでもないような気がする。
てっきり、関東のウナギが背開きなのは切腹を連想させて縁起が悪いといった、噛み「切る」ことに対する思念なのかと思っていたので、少しがっかりだ。(ちゃんと調べたら他の理由はありそうだが。)
ただでさえ美しく食べるためのルールが多い上に、見た目の美しさまで気を使わねばらならないのか。食事のマナーは同席者を不快にさせないための配慮とも言うが、食の歴史と目の前の人間、両方に気を使うのは中々骨が折れる。「飯ぐらい好きに食わせろ」とどこかで聞いた気がするが、一理どころか百理ぐらいあるのかもしれない。
その昔、西洋では食事マナーを「教養」としていたという。日々の食事という行為にまで美しさを求めるのはさすが上流階級。ガツガツと一心不乱に食べるのもいいが、会話を楽しみながら舌鼓を打つのがオツなのは、海を越えても同じなのだろう。
私はどうせなら美しく食べたいなぁと思うので、茶碗を持つとか揃え箸をしないとか、ほんの少しだけ気を付けている。同席者のマナーを指摘するようなことはしないが、日本で食事をする以上、日本の歴史に則ったマナーに準ずる方が美しいだろう。
何より幼少期に躾けられたものは中々抜けない。人のふり見て我が振り直せ。今一度振り返ってみる必要があるのかもしれない。

