あいも変わらずミアレシティの元Aランクポケモントレーナーとして街中を走り回っているワケだけれども、これが意外と中々難しい。ゲームの攻略は調べればすぐわかるが、switchの電源ボタンを押すタイミングがわからなくなっている。おとなって、いつゲームしているのか??(趣味がゲームの人を除き)
楽しみと理性の狭間で
思えば、ゲームに夢中になっていた小学生時代は隙あらばプレイしていたように思う。学校から帰ってきて夕ご飯まで、夕ご飯からお風呂まで、そして最終的に宿題に追われて泣く羽目になるのだけれど、よくもまぁそんなに夢中になれたものだ。
特に覚えているのは、家族でお買い物に行ったときに漫画なんかを買ってもらった時のこと。家まで我慢できずに帰りの車内で読んでいた。車酔いするからそんなに読めないのに、包装のビニールを破り、何よりもそれらを楽しみたかった。CDでも歌詞カードを読んだり、とにかく一秒でも早く中身を堪能したかった。
それがいまではどうだ。ネットで注文して届いた商品を開封するまでに一週間以上かかることはザラだし、買ったが読んでいない本は10冊以上ある。欲しかったから買う、よりも、必要だから買う、になったものが多いこともあるだろうが、それにしても、コンタクトの洗浄液を開封するのに一週間も置く必要はなかっただろう。
そんなわけで、中々ゲームをする時間を作れずにいる。いや、訂正すると、時間はある。ただ、「ちゃんと楽しんでやりたいな」と思ったら、時間のほかに精神的な余裕が必要になってくるのだ。結果的に時間をゲームに費やせない状態が続いている。
おとなになると変に小賢しいことを考えるからかもしれない。今日はアレをやって、コレをやって、と考えて、「じゃあもう少しまとまった時間が必要だな」とか思ってしまう。お酒を飲み過ぎてしんどい時だってある。
これが小学生時代なら、とにかくゲームを起動させてストーリーを進めたい!となっていたと思う。もしかしたら今の任天堂switchと、任天堂64の遊び方の差があるのかもしれない。
自由に遊べるというのは逆に大きな枷になる、みたいなことはなんとなく聞いたことがある。自由すぎると不自由みたいな。アレもコレもと考えてしまうより、今日はコレ!と決め打ちで集中したほうが…と言われたら、なるほど確かにと思わざるを得ない。
あともっとシンプルに、長時間ゲームをするといろいろとしんどい。眼精疲労、肩こり、腰痛、など。概ねアリナミンを飲めば解決るす問題、大人になったなぁと痛感せざるを得ない。こんなところで成長を感じたくないものだ。
そんなわけで今日も充電中のswitchを横目に、編み物をしようかそれとも冷蔵庫の作り置きをなんとかしようかと考えている。メインストーリーが終わって、あとは攻略とかやりこみ要素だけになっているから、と言い訳をして、とりあえずブログを書くことにした。
もう二度とゲームに夢中になれることはないのかと思うと少しさみしい。PSPのモンハン2Gぐらいアホみたいにプレイできたら、それはそれでいいのになぁ。
大人になるって、失うものを先に考えてしまうことなのかもしれない。初めてポケモンに触れてから約25年、まさかこんなことを学ぶことになるとは思わなかったなぁ。

