最近マウスウォッシュを使い始めた。思い出したように購入して使い、使い切る頃には飽きているのでまたしばらく使わないのだけれど、マウスウォッシュが常備していある家は”上等”なのではないかと思う。
おうちのあたりまえって大人になってからでないと答え合わせできないよね
こんな詭弁を展開するのはもちろん、私の実家にマウスウォッシュが常備されていなかったからだ。かの有名な理論物理学者のアインシュタインは「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」と述べている。物心がついてから一人の人間として独立するまでに育った環境は、人格形成に大きな影響を与えるのは言うまでもない。
表題の件について、玄関のない家とは私の実家のこと。「変な家」みたいなトリッキーなことではなく、およそ一般的な家に一つはある、「玄関」と呼ばれる部位が曖昧ということだ。
実家は自営業だった。祖父が40代で家を改築する際、一階の一部(約10坪くらい?)を店舗とした。一番奥の扉を開ければ居住区というまさに自営業と言うべき間取り。
私は生まれたときからそれがあたりまえだったが、長年住んでいる母親からすると、どうもそれが不満だったらしい。つまり、「玄関」がないと。
母の言う玄関とは、扉を開ければ片側に靴箱があり、その上には四季折々の植物や飾り物を置き、来客があれば上がり框に腰かけて少し話し込むくらいのものを差すらしい。まぁなるほど、「よくある」ご家庭の玄関だ。
確かにそう考えると実家にはその定義に当てはまる「玄関」がない。家の出入りはダイニングキッチン直結の勝手口を使うことが多かったし、かと言って店から出入りするなと言われたこともなかった。むしろ営業日はだいたい母が店先にいたから、店の玄関というか出入口もよく使っていたし、何なら店の一角に趣味の熱帯魚水槽を置かせてもらっていた。つまるところかなり自由だった。
「玄関がある家に住んでみたかった」という母の羨望もわからんでもない。今は店を畳んだので物置兼おしゃべりスペースになっているが、そもそも「玄関」という概念を考えたこともなかったから、中々新鮮な視点だ。
ふと今の住まいの玄関を見てみる。母が望んでいるような玄関。左側には靴箱があり、その上にシルバニアを飾り、反対側には帽子を飾っている。手に入れてしまっていればなんてことはないが、確かに実家にはこれがなかったなぁ。
幼少期の当たり前は大人になってから「これってうちだけ!?」みたいなこと、結構ある。箸置きを使う、バスタオルではなくフェイスタオルを使う、外干ししない、マウスウォッシュが常備されている。細かいところだが、各ご家庭で育まれたあたりまえが否定される瞬間というのは文字通りのカルチャーショックだ。
今のところ私はあまり感じたことがないけれど、もしかしたら気づいた瞬間がショックすぎて意識を飛ばしてしまっているのかもしれない。そういえば昔、家(というか店)に業務用のコピー機があったの、あれは一般のご家庭にはないよな。たまに「昔ならパパっとコピーできたのに~」と思うことはある。
つまるところないものねだりなのだけれど、SNSが普及してよそのご家庭事情がよく見えるようになった昨今、このカルチャーショックは薄れてくるのかもしれない。むしろ「ライフハック」という形で発信されている方もいらっしゃるのだから、友達の家に遊びに行ったときの衝撃は昔ほどないのだろうか。
「うちの実家ではこうだったよ!」という話ができるのは、いろいろなものを見て経験してきた大人の特権でもある。最近そのうま味を始めて知ったが、これは中々やみつきになる。そんなのはおかしいと一蹴する理由もない「あたりまえ」、少しずつ見つけて観察・報告していきたい。
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